働くということ

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以前、ニュースで、「保育園が足りないので、解決策として幼保一体化をしたいが、縦割り行政の弊害で実現出来ない」ことが話題になっていたことがありました。

ご存知の通り、今の日本は、保育園の供給が追いつかないため、待機児童がたくさんおり、働きたいのに働けないお母さんがたくさん居ます。一方で、共働きが増えると遅くまでは預かってくれない幼稚園のニーズが低くなり、こちらは、定員割れが続出しているそうです。
そこで、幼稚園を保育園に転換して、この事態を解決しようということですが、保育園は厚生労働省、幼稚園は文部科学省の管轄なので、そうは問屋が卸さないというのです。

政治家がリーダーシップを発揮して、官庁や業界団体、果てはそれに乗っかる族議員たちを一網打尽すれば良いのですが、決定方法等の仕組みに問題があるのか、政治家に勇気や志がないのか、一向に決まる気配がありません。

国を治める最高議決機関に居る国会議員でさえ、この体たらくなのですから、ひとつの会社を良い方向に向かわせようとするメカニズムは、なかなか働きません。

いっそ、国会議員を無給にして、食べるために職に汲々として志を持たない国会議員を追放しようとする議論もありますが、会社で働く者は当然食べるために働く人が大多数なので、「志を持て」と言うほうが間違っているのかも知れません。

そういう私も、この会社を首になったら家族が路頭に迷うことを危惧するので、食べるために働く者の一人です。
しかしです。”モチベーションを維持するには”にも書きましたが、食べるためだけに働くのは非常に虚しい。人生は一度きりで、その時間も限られています。そのかなりの時間を割いている働くということを通じて、志や夢を実現出来たなら、なんて幸せな人生なんでしょうか。

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