むなしさからの解放

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最近、「むなしい」と思うことがあまりなくなりました。
なぜなのか。

これを読んでいる皆さんが、一瞬思ったこと、それは、「新しいことでも始めたの?」といったところでしょうか。

厳密には始めましたね。
昨年の年末から、家事をするようになったのです。

実は、私は亭主関白です。
「家事は女がすること、俺は外でストレス抱えて稼いでいるんだから当然」と考えていました。
私が家事をするのは無駄なことで、何の利益ももたらさないと思っていたのです。

食器洗い、洗濯、アイロン、風呂掃除…
今までも、「なんでちゃんとせえへんねん」って怒りながら、たまにすることはありました。

今回は、継続しているのです。
しかも、心は平穏に。

ちょっとしたきっかけがあって、人生に対する姿勢を初心に戻したいと思ったのです。

始めて1ヶ月ちょっとで、気付いたこと。
なんだか満たされているんです。
自由になる時間が削られて、ストレスが溜まるかと思ったら、その逆でした。
自分にしか出来ないことはないか、自己実現する方法はないか、と探り、満たされない日々を送っていたのがウソのように、「むなしさ」を感じなくなりました。

今日、「自分の壁」(養老孟司著)を読んでいて、腑に落ちました。
「特攻隊の生き残りの人たちに、なぜあんなことをしようとしたのか、話を聞くとみな同じことを答えます。親、家族、故郷の人たち、村や国、つまり共同体のためだ、と。そうした考え方を戦後は徹底的に否定しました。その結果、自分の人生は自分のためにある、という考え方が暗黙の前提とされました。その延長線上に、個性の尊重、自分らしさや自己実現といった考え方があるのでしょう。」

自分らしい生き方を模索していて、結局、人のために生きないと満たされないことに気付いた私。
その方法は、奇をてらう必要はないのです。
毎日、家庭で出来ること。
灯台下暗し。

あっけない、実にあっけない私の「むなしさ」からの解放手段でした。

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