上がらない気持ち

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最近読んだ「暇と退屈の倫理学」著:國分功一郎(朝日出版社)からの抜粋です。

ーーーーー抜粋開始
人は自分を奮い立たせるもの、自分を突き動かしてくれる力を欲する。なのに、世間で通用している原理にはそんな力はない。だから、突き動かされている人間をうらやましく思うようになる。たとえば、大義のために死ぬことを望む過激派や狂信者たち。人々は彼らを、恐ろしくもうらやましいと思うようになっている。
自分はいてもいなくてもいいものとしか思えない。何かに打ち込みたい。自分の命を賭けてまでも達成したいと思える重大な使命に身を投じたい。なのに、そんな使命はどこにも見あたらない。だから、大義のためなら、命をささげることすら惜しまない者たちがうらやましい。
だれもそのことを認めはしない。しかし心の底でそのような気持ちに気づいている。
大義のために死ぬのをうらやましいと思えるのは、暇と退屈に悩まされている人間だということである。食べることに必死の人間は、大義に身を捧げる人間に憧れたりしない。
生きているという感覚の欠如、生きていることの意味の不在、何をしてもいいが何もすることがないという欠落感、そうしたなかに生きているとき、人は「打ち込む」こと、「没頭する」ことを渇望する。大義のために死ぬとは、この羨望の先にある極限の形態である。
ーーーーー抜粋終了

やる気がないわけではありません。
サボりたいわけでもありません。
でも...、でも、モチベーションが上がらないのです。

最近思うのですが、成長しない、結果が出ないのは、他にやることがたくさんあってそれに充てる時間が確保出来ないからではなく、気持ちが上がらないからなんですよね。
このままでいいとは全然思ってなくて、あれもこれもやらなくてはと考えているのですが、ほんとにどうしても気持ちが落ちてしまうのです。
だから、今の課題は、「時間は作るものだ」とか言う話ではなく、「いかに気持ちが上がる時間を多くするか」です。
昨年経験したこの世から消えたくなるような状況を脱した今、どうやって自分自身を前へ進めるのか。
この状況が続くようだと、「私の存在意義」を模索するなんて、夢のまた夢に終わりそうです。

どうしたらいいのか。
闇の中に迷い込んでしまったようです。

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